合気道武産会の50周年祝賀会が開催されました。
武産会は、どこの会派にも属さない独立した団体でして、とても小さな会です。
ずーーーと小さい会のまま続いてきたので、組織としては存続が危うい時期もあったのかもしれませんね。
人数は少ないけれど、少し古い時代の合気道である大阪の田中万川先生の合気道と、晩年の集大成である岩間の斉藤守弘先生の合気道の、双方が学べる珍しい会だと思います。
個人的にはかなりお勧めな会なのですが、全然人は増えませんね...ま、それも良しとしましょう!!
武産会滋賀のはじめ
滋賀道場長である私は、京都の花園大学の合気道部に入った事により合気道と出会いました。
それが18歳の時だったので、27年前になるようです。
合気道を初めてから5年後に滋賀で稽古を開始しましたので、滋賀道場の歴史は、武産会の歴史の半分に少し足りないくらいになります。
長かったような、短かったような・・・・色々あったような、何も無かったような・・・・そんな気がします。
ともかく、これが滋賀道場のスタートとなります。
滋賀道場の歴史を振り返ると
いい機会なので滋賀道場の活動を思い返してみると、色々と変化は感じます。
はじめは多賀町のB&Gのみで週一回稽古をしていました。
10年間くらいでしょうか...積極的に人を募集することは無く、実力をつけるために固い稽古ばかりを行っていました。
技術は重視せず鍛練を重視して、受け身がどのように頑張ろうが、逃げようが、文句は言わないという姿勢でやりました。
同じ技ばかりをひたすらに、、、、、だって、全然技が掛からないですからね。
技が掛からなくて謝罪するような事はしょっちゅうで、心底しんどい稽古でしたけど、理解して参加してくれる人に恵まれて、何とか続けていけた感じでした。
その後、「鳥居本中学校の武道場」を借りて、稽古日数を増やしましたが、それでも実力養成重視の固い稽古を続けます。
そのまま固い稽古を一定期間続けていくと、そこから流れの稽古の事を考えるようになりました。それが4~5年前の事ですね。
それまでも、たまに流れの稽古だと思うものをやっていたのですが、気持ちに本腰が入らないんですよね。
迷いがあっては指導に合理性が生まれません。稽古をしても何かひっかかる、だから手を出せませんでした。
流れの稽古をより理解するために、色々と調べたりもしました。まずは、理屈の上だけでも流れの稽古の意味をハッキリさせたかったんですね。
もちろん、なんとなくは理解できたつもりですが、それでもスッキリしない自分がいます。
理屈から言えば、3種の稽古方法はどれも同じくらい重要なはずです。そろそろ腑に落ちるものにしたいので、曖昧な感覚に決着をつけたいと思うようになりました。
そこで、流れの稽古、気の稽古、この2種類の稽古に必要となるものは何だろう?と考えます。一人稽古の効果が及びづらいこの2種類の稽古にあっては、人とのやり取りがとても重要になりそうです。稽古に参加する人の数を増やしていく必要がありました。
そこで、彦根市の京町にテナントを借りて「武産会滋賀道場」を準備する事となりました。
時を同じくして、イオンモール草津の十字屋カルチャーセンターから、合気道の講座をやってみないかというお話を頂きまして、そこでも指導を開始します。
これが現在の合気道武産会滋賀の形になります。
これからも色々と研究を
武産会の本会が50周年を迎えたことをきっかけに、滋賀道場の流れが確認できたことは大きな収穫だと思います。
合気道の歴史的な背景の研究、合気道の思想的な部分の研究、合気道の技術的な部分の研究、それらをあくまでも開祖植芝守平翁を軸として考えて、整えていく作業が、少しずつではありますが、進んでいることがわかりました。
客観的に見れば、滋賀道場長の私がやりたいことは「合気道をしっかり把握したい」という事なのだと気が付きます。
今のうちにそれをやっておかないと、滋賀道場の骨組みは整わないからなのだと思いますし、良い道場には、なんらかの骨組みが存在していると思います。
これから10年でさらに骨組みを整えて、滋賀道場も良い状態にできるように頑張っていきたいものです。
あと、滋賀道場はとても運が良かった。その事に感謝しつつ、これからも楽しみながら活動を続けていきましょう。
それでは、武産会の皆様50周年おめでとうございました。今後も頑張りましょう!
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