『論語』を読んだら、孔子と植芝翁に共通点があった

まずは、この日の稽古内容を書いてしまいましょう。

剣術
素振り1~7、合わせ3・4、組太刀3
体術
体の転換、立ち技の呼吸法、両手取り1教裏、両手取り4教裏、座り技呼吸法

『論語』を読んだら孔子と植芝翁に共通点があった

孔子の話したことばを弟子たちがまとめたという『論語』、僕には難しい本(忍耐力のいる)です。実は僕は『韓非子』が好きなんです(と言っても、岩波文庫の4分冊は注文したところで、まだ届いてません)。韓非子の訳本を読むと孔子の話が出てくるので、孔子について興味を持ったのです。

個人的な嗜好はともかく、韓非子を理解するためには、先に孔子の思想も知っておくほうが良いと考えました。孔子は言わば王道の存在、韓非子はアウトローなイメージです。(現在は違うと思いますが)儒教について深く学ぶ気はありませんので、今のところは『論語』を読んでおこうという発想になりました。

『論語』は、漫画から始まって、渋沢栄一など経営関係者の書いたもの、現代語訳のもの、と読み進め、今は岩波の『論語』を読んでいます。やはり内容が苦痛で、なかなか読み進めることができませんが、おおむねどういうものなのか理解ができました。そして、孔子と植芝翁には共通点があることに気が付いたのです。

孔子と植芝盛平

断片的な見方ですが、孔子は、礼法や学問の研究を通して君子という存在を明らかにしています。君子というのは世の理を理解し、従った活動できる人と言えると思います。そして、その君子になるための方法を研究し、指導した記録が『論語』だという事です。

植芝盛平翁も、武道を研究し、理想とする合気道修行者を定め、修行者の育成をし、その方法の集大成として『合気道』を残した、という点では孔子と同じことをしています。『合気道』では、敵を倒す事や、身を守る事に目を向けず、武道の理を明らかにし、身に着けることを重視します。構造的に孔子の教えに似ている気がします。

合気道の人気のひみつの一部かも

孔子と植芝盛平翁は、ジャンルが異なるだけで同じことをしている気がします。そのため、植芝翁にも孔子のような雰囲気があるかもしれません。

論語に学べば一生食うに困らないわけでもありませんし、学ぶ理由も、あくまで自己満足が基本だと思います。 それは合気道でも同じことで、合気道が超実践的というわけでもありませんし、下手をすれば役立たないとまで言われます。しかし、多くの人は魅力を感じて修行を続けてしまうのです。『合気道』には『論語』に似た魅力があるのではないかと考えさせられました。

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