まずは稽古内容です。
素振り1~10、31の杖
体術
体の転換、立ち技の呼吸法、1教各種
1教を再定義してみる
「1教腕抑え・・・」という表現がされていますが、この表現が正しいとするなら、腕の構造を考えれば、1教は逆技を取るのが合理的だと言えることになります。あの形で、腕を抑える事が目的なら逆技に取らないのは理にかないません。
ただ「怪我に繋がったり、合気道独特の倫理から、本当は逆技に取るのだけれども、そうしないように稽古している。」という話も聞いた事はありませんから、基本的に1教は逆技には取らないものだと思っています。
それでも、あえてその考えを曲げて「仕手は逆技には取ろうとするのだけれども、逆技に取られないように、受け身側が肘を曲げて防いでいる。」と考えてみるとどうでしょうか?
少し理にかなっているように感じます。受け身の理由もできました。
つまり、こんな流れです。
- 一教腕抑え(基本的に肘を逆に取って抑える)
- しかし、受け身は肘を曲げて受け身をし、逆を取らせない
- そこを利用して、仕手は受けの肘を返して抑える
どうでしょう?なんとなく理は通った気がしますよね。これなら、「腕抑え」と呼べると思います。
手首の取り方に注目
一教が、手首部分の取り方の一つだと考えてみるのはどうでしょう?
考えてみれば、2教~6教は、手首部分の様々な取り方、極め方を稽古している気がします。痛みが伴うのでわかりやすいですけどね。この点、一教だけ違うものと考えるべきなのでしょうか??
痛みこそありませんが、1教の口伝である「手首の脈部を取る」という事を真剣に突き詰めると、1教も極め技として稽古できる気がします。
もっと言えば、「取り方・締め方」という呼び方をするような稽古となります。1教の場合、痛くはありませんので、極め技と呼ぶのはふさわしくないかもしれません。
でも「1教~6教は、その性質に違いは無く、全て、取り方と締め方を稽古しているだけである。」と考えれば、1教腕抑えは単に腕を抑えるものでは無くなります。重要な掴み手の一つの稽古となります。
これはこれで、面白い考え方だと思うのですが、あくまでも私見でしかありません。こんな視点もあるなと思いついたことを書かせて頂きました。(^_^;)
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