突きに対する入り身

この日の稽古は、人数が少なく、よりテーマを絞った稽古をしました。

テーマは、僕の大好きな『合わせ』です。

このテーマは過去に何度も書いています。

合わせの大切さについては、耳にタコな状態かもしれませんが、実際に意識している人は非常に少ないように思います。

利用した技は”突きの一教突きの三教”です。

相手が右手で突いてくるのに対し、左足を踏み出して、常に相手の右側に入り身するように稽古しました。その次は、左手で突いて来るのに対して、同じように左足を踏み出して入り身します。

どちらの手の突きに対しても、こちらは同じように入り身すれば、その後技が変わるだけだということを理解してもらいました。つまり、相手の攻撃にこちらが影響される必要は無いという事です。

最後に、まとめとして、左右上下どのように突いても良いという稽古を行い、どれでも対処ができる事を理解して頂けたと思います。

稽古のテーマが『合わせ』なのに、なぜこのような稽古をしたかと言うと、相手の動作に対処するという意識を持つうちは、相手の起こりに合わせる事などできないからです。

相手に反応するのでは無く、相手と同時に行動する事が合わせる事なのですから、当然、相手をじっくり見ようとしてはいけません。

つかむのは、相手の意思の起こりです。

相手の攻撃に合った技を掛けようと考えてしまうと、どうしても相手の攻撃を確認したくなり、見てからしか動けなくなってしまいます。

この点は、大部分の攻撃に対処できるように相手に入り身する事を学び、さらに、接近する事で相手の攻撃の選択肢を大幅に減らす事ができることを知れば、相手の動作を見ようとせずに入り身する事が可能になります。

そうすれば、起こりの意思を読み、それに合わせるためのカンを養う稽古へと移行できます。

合わせの稽古をしているはずなのに・・・

合わせる稽古をしていて、自分も含めて良くないと思う事があります。

それは、遅れることはあるが、フライングしてしまうことが無いことです。

相手の思いの発生に合わせて飛び込むわけですから、当然、間違ってフライングしてしまうケースも多くなるはずです。

ところが、大抵は遅れるのみでフライングしてしまうことはありません。

これは、まだまだ相手を感じているのでは無く、見ているだけなんだなと感じます。しかも、型をうまく表現しよう(うまくやりたい)という心も邪魔をしているように思います。

このように考えると、合わせるというのは、実は殆ど心理のコントロールのように思います。技術というより、心というより、カンの鍛錬というのが正しいでしょうか?

とにかく、ここがうまくなれば、違う世界が見える気がするのですが・・・・・

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