合気道の目指す境地

今回は、ちょっと突飛な話を書きます。
ほとんど思いつきなんで、読み飛ばしてもらっても結構です。
先日、人から勧められて中村天風の本を読みました。
この本です。
中村天風については、藤平光一師範が本を書いているようですが、読んでいないので良く分かりません。僕はこの本しか読んでいません。あまり詳しくはないので、その点はご了承ください。
ただ、この本だけを読んでも、植芝翁とのいくつかの共通点を考えてしまいます。
実戦経験や処刑寸前での開放、熱心な研究姿勢、神がかり的な話等です。
しかし、今回気になったのは、共通点の話ではありません。
僕が気になったのは、中村天風がインドのグルと巡り合った時の話です。
胸の病気を見抜き、天風を救う修行をさせるわけですが、胸の病気がわかった理由を、『インスピレーション』と言ったと書いてありました。
これは、『勘』とか『閃き』なわけですが、これが植芝翁の神がかり的エピソードの本質を示すように思います。このインスピレーションを求めているかも知れません。
そして、ここが具体的だと思ったのですが、これらのインスピレーションは意識レベルの向上によってもたらされるという事なのだそうです。
肉性意識レベル→心性意識レベル→霊性意識レベルの順に昇華し、霊性レベルの段階に至ると発揮されるものだとなっていました。
霊性レベルに至るには、天の声・地の声を聞くという修行を経ると書かれていましたが、この点も合気道の天地と一体になるという言葉と良く似ています。
さらに進んで、意識が宇宙大に広がり、我即ち宇宙という言葉は、霊性段階の意識レベルと取ることができる気がします。
インドのヨガの修行では、滝の激しい音にとらわれずに一つの事を考え、一瞬滝の音も聞こえず無になった時に天の声が聞こえるような事が書かれていました。
つまり、合気道なら、目の前の技に没頭し、邪念にとらわれない境地をつくれという事でしょうか?
まあ、なかなか理解は難しいのですが、なすべき事は見えたような気がします。
意識を高めるように、体を使っていくことが大切なのかもしれません。
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